時々海へ魚を釣りに逃亡しながら、時々アトリエでお勤めもしながら、
雷が鳴り響ても雨がアスファルトを打つ音が響いても
結局今日は一歩も外へは出ずに制作してすごした。
朝、画廊の担当者さんへ アート台北 への出品作品のうち出来ている絵の画像を送り、
11月までにあと40点程の制作を段取りしたり、数点の描きかけの絵を描いたり次の下地を
作ったり。
HARD ROCK や METALをかけながら描いていても、頭の中が静かになるときがある。
そういえば昨年の今頃は、シンガポールから帰ってきていて、
そしてその帰路の途中の空港で 同い年の友人の訃報をきいたんだ。
彼女は何年もおれに絵を習っていて、最後の1年は闘病の為に授業には来られず、
それでも絵を描くための写真を撮りためたり、大好きだったアニメの話やオリジナルの人物像を
描く準備をしていたらしい。
本当の命日は1か月前くらいになっちゃったし、お寺に挨拶にも行けていないけど、
真剣にやってきたことを振り返ると必ず思い出すんだよね。
そんなことを思いながら、おれが描く絵には何ができるんだろう・・・
最近いろんなことを整理する機会があって、毎日のように考えるんだけど、
表現の方法とか向かう先とか、そういうのは後回しで、
ホンモノであること。
それまでに積んできたことや、それに費やした時間と情熱
伝えたいことに奥行きがあるかどうか。
それがホンモノかどうかは その深さと時が証明することだろうけど。
発信する以上は受信(着信でもいいや)する側に届けること。
その意識が無ければそれは単に発散しているだけで、
おれが目指しているコミュニケーションは成り立たない。
ある絵描きがこんなことを言っていたらしい。
平凡なことがいい。
だがそれを見つけるのは容易ではない。
平凡なものに信頼をおき、それを愛したら、
その平凡なものが普遍性をもってくる。
響くねぇ。
来年の夏も、きっとそんなことを思い出しながら
絵を描いているんだろうな。