上大岡京急百貨店でのギャラリートークは
小雪がちらつく天候だったにも関わらず、
大勢の方々がいらして下さり、盛況でした。
20分程でしたが、トークの内容を書こうと思います。
今回は改めて、絵描き吉川龍としての生き方と信じていること
の話をしようと思います。
アメリカで同時多発テロが起こった翌年の2002年のことです。
今から13年くらい前、絵画教室と居酒屋で料理するアルバイトで食いつないでいた頃です。
絵は描き続けていましたが、漠然としていて、
でもなんとなくこのままじゃあいけないってアメリカやらイギリスやらを旅して、
必死にきっかけをさがしている、その頃に今の絵のスタイルになったんですけど。
真冬のニューヨークを一日中歩いてひたすら美術館を見て回ったりしていて、
その朝も5thAveを歩いていて、ふと振り返ったら逆光の景色が目に映り込んできたんです。
焦りやら苛立ちやら自信のなさなんかを見透かされてる気がして、
なんとなくその逆行の景色の写真を撮って、ベッドの他にスーツケースを置いたら
それでいっぱいくらい小さな部屋のホテルに帰って水彩画を描いて、
その時に色々腹括って、何とか描いて行けるんじゃないか?って思える希望を探していました。
きっかけが逆光だったもんで、何時でも光の方を向いている時に見える景色を描こう!
って思った訳です。
そんな感じで10年の間に色々探りながらも500枚以上は描いて来ました。
その頃の絵の始まりが このままじゃ生きていかれない って所からだったわけですけど、
その頃の絵は 寂しさが漂っていたりもう少し暗い雰囲気もあって、当時はその感覚がしっくりきていたんですけど、
今は、少しずつ色も増えて、暖かさや柔らかさもでてきて、こうやって絵と向き合って生きていけるんじゃないかな?
と思って描き続けています。
身近なところでも遠くでも、理不尽ってあるでしょう?
自分の中でさえどうしようもない矛盾が生じます。
矛盾と真剣に向き合って、答えのないところから新しい答えを探して、
理不尽に直面した時には 当たり前 の意味を噛み締めて。
どこかで、自分の回りだけでも今日の続きが明日もあるって思わないとまともな精神じゃいられない。
そんな気持ちで見た普通の景色の中に、ほんの少し希望につながる様な、光なり影なりが見つけられたら
そう思ってキャンバスに向かい、描いているのが今の絵です。
この春にパリへ行って2ヶ月位制作します。
ルノアール、藤田、ユトリロ、シャガールなどなど、パリでも描いていた歴史に名を連ねる
巨匠たちの絵が隣の壁に掛かっていますね。
私が100年前に生きていたら、彼らと同じ場所で一緒に絵を描いていたらって
時々想像するんです。
熱い話をしたか、下らねぇってケンカしたか、一緒に酒飲んでベロベロになってたか。
戦争中だったり、国を追われたり、貧困だったり、そんな中でも絵描きは絵を描き続け、
それがあったからこそ我々がここで絵を描けるということもあると思っています。
世界中どこでもいい、当たり前の意味を知る為に絵を描いて、
そうやって生きて行ったら、またきっとその先の、
新しい答え、自分の世界が出来るんじゃないかと思っています。
そして、それを継いで行けるように描き続けていこうと思ってまた絵に向かおうと思います。