Boat

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左は縦2m以上の卒業制作(取手市所蔵)右は縦50cmほどの自画像(これも卒業制作)

自画像は一度描いたヤツを気に入らず、無理やり引っぺがして壁にピンで留めていたら、

同大学の友人が部屋へ来て、「これいいじゃん!」て言うんで再び木枠に張って

加筆したもの。

 

自分の姿を描いた絵、つまり自画像というやつは、

課題であった大学の卒業制作以来20年以上描いていない。

対象に魅力を感じないものは描こうと思わないから仕方がない。

 

そうは言っても折に触れ、自分の辿って来た道筋は描いて来た。

それは子供時代の姿であったり、ボクサーの姿であったり、外国の冬の道端

であったりするのだけれども、これは魅力がどうとかいうよりは、

これしか描けない、描かなきゃ死ぬしかねぇか・・・という状態で

それぞれの記憶や闘志、焦りや踠(もが)きを塗り込めた。

 

ただ自己の内側にのみ問いかけ、返って来たものを描くことこそが本当の

意味での表現だったかもしれない。

 

ここ数年、小舟を見ると自分の姿の様だと思う。

自力で進む手を持たず、流れのままに彷徨ったりもするが、

意思を持った様に見える瞬間、それは我が道を行く自身の姿と重なって映る。

時にそれは、意志を持たず、朽ち果て、流れ流れて辿り着くであろう死を待つ姿に見え、

その淵に触れ、誇りを残し、抗わず、潔さを持っていたい と望む。

 

36x51 Alive -ある男の肖像-2017 20151017_151607-300x199 F4パリ郊外の午後2014 F80 113,8x145,8 Still Ending 2015

 

己の存在意義を追い求め、いつしか共有できる、してほしいと、何処かの誰かに向けて

発信し始めてから、予期せぬ景色が見え出したのも事実。

だが再び己の内側へ向けて問うた答えのみを塗り込める時期に差し掛かった様に思う。

数年、幾分穏やかだった表現の中に、時折強烈に混じりこむはずだ。

 

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上2つは ざわめきの部屋 シリーズ。

居場所を求め、戦いに臨み、心の中がザワザワする緊張感を込めていた頃。

 

 

 

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もうこの辺はダークサイドの一歩手前まで行ったころ。

2002年頃は精神的には描いて生きるかやめて死ぬかの2択だった。

 

 

 

 

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ダークサイドから少し抜け出し、コンペで賞を貰うなど

評価され始めた絵。

同じ様な構図で大小数点描き、評価はされてきたが このままじゃ5年後に終わる と感じ

この年以降このテーマを描かなくなる。

 

 

 

 

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2003年のある日、予備校やら大学やらで勉強した 美術 の観念を

一切捨てて(という覚悟で)何に恥じることなく 自分が好きな絵 だと

思える絵を描こうとして出来た1枚。

焦りや怒り、不安と自信が入り混じる心を背中から透かされた気がした

真冬のニューヨーク5thアヴェニュー。

初めてキャンバスに和紙を貼りアクリル絵の具と銀箔を用いた。

これが今のスタイルの原型。

 

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その後数年に渡り、オレの絵を認めない世の中に対して

怒りと挑戦 不安と絶望 が毎日の様に渦巻いていた頃の絵。

今更いい絵だなんて言われたって遅いぜ。

オレと数人の友人は信じて闘っていたのさ。

 

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この辺のスケッチは2002年とか3年とかそこら辺のだけれども、

100枚以上全て震災チャリティー展示会で手放した。

詳しくは2011年3月、4月あたりのブログを読んでいただければ

なんとなく解ってもらえると思う。

 

それにしても、スケッチ1枚取っても、後になって見返すとその時のことが

鮮明に思い出され、足掻きとか救済とか感謝とか勝利とか出会いとか、

山ほどの思いが込み上げて来て、ついうっかり涙まで込み上げて来そうなので

この辺で幕にします。

 

これから10年の目標と覚悟を込めて、46回目の誕生日にブログ更新。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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