Charity

 

4月26日(火)~5月6日(金)銀座日動画廊でチャリティー展示販売会を行います。
支援先は我が郷里の栃木県益子町
被害額は8億円にもなったと聞いています。

これまで国内や国外を旅した時に描いた水彩スケッチ50余点を展示予定です。
初日は他の仕事の為画廊に行けませんが27日には行く予定です。

昨年夏、友人と2人で東北を旅した。
4日間で2000kmをバイクでぶっ飛ばした。
日中は36度もあるなか革ジャケット&フルフェイスでひたすら走った。
ついでに行きの高速で財布もぶっ飛ばした・・・拾ったけれど

そいつと2人松島で缶コーヒーを飲みながら海をスケッチした
何気なく描いた牡蠣の養殖網を結んだ棒がたくさん立っていて・・・
今はもう流されちゃって無いらしいと聞いて涙がでる。

上杉神社も描いた。
遠い友人がスケッチと同じ構図の写メを送ってくれた。

青森でも岩手でも秋田でも・・・楽しかった。
ありがとう、必ず恩返しに行きます。

2003年イタリアに1ヵ月居た時には街中をたくさん描いた。

2004年から2005年にかけて1年フィレツェに住んでいた時には
友人とウィーン→チェコ→スロバキア→ハンガリーを旅して描いた。
正月だったから無茶苦茶寒くて、でもそれぞれの国の飯がやたらと美味くてたくさん食った、たくさん飲んだ、たくさん歩いた。

ドイツ→デンマーク→スウェーデン→ノルウェーもそいつと行って描いた。
夏の白夜だったから夜も明るくて・・・やっぱり飲んで食って歩いた。

手が凍りそうな寒風の中で描いたのも、炎天下に汗だくで描いたのも、神秘的な雲海を見ながら描いたのも、荷物を盗まれないように見張りながら描いたのも・・・

1枚1枚の思い出と思い入れを話せばきりがない。

そんな絵を
俺が生まれ育った街の復興の為に買って下さい。

Go ahead!

 

一歩でも前へ・・・
日々そのことを考える。

今回の東北地方の地震で北関東にある我が郷里も甚大な被害を受けた。
焼き物の街として知られている栃木県益子町、
実家も含め陶芸作家宅、販売展などの陶器は壊滅的被害がでた。
人や建物の被害は比較的少ないものの、陶器、農作物や商店等
総額1億円以上の被害が街から発表されている。

高校卒業までを過ごしたこの街の復興を支援したいと考え、
これまで描きためてあった水彩スケッチを展示販売し、その売り上げ
の内自分が受け取れる額の全額を街に義援金として送る計画を進めている。
日ごろお世話になっている画廊が全面的に協力してくださる意向を伝えて下さり、
現在より適切な日時と方法を検討中。

周りの友人達からも多様な方法での支援活動の声をかけてくれており
極力参加したいと思っている。

一歩でも前へ!

心に花を

 

街中に不安や緊張が溢れている中で
声を掛け合い出来ることを探している人たちがたくさんいる

遠くからでも出来ることは
誰かを非難することではない

どうしても気持ちには余裕がなくなるし
ナーバスになってしまうからこそ
心に優しさを

行動

我々絵描き、それ以外にもアート活動に携わる人間として、
何か行動を起こせないかと思い、
個人や企業、行政にも支援の方法、協力を打診中です。

現段階でどこの行政も被災対応に追われている状態であるため
一般人としての申し入れが届くには時間がかかる模様ですが、
出来るだけの準備、声かけは行って行きたいと考えています。

東北地方以外でも、郷里やゆかりの地に対して出来るだけの行動を起こそうという意志に賛同、協力して下さる作家の方々がいらしたら
私宛に一報お願いいたします。

七色の黒 partⅠ

 

今いくつかの絵と共に50号(長辺が117㎝くらい)の絵を描いていて、
順光線で見るとこんな風に見える。

何年も前からこの見え方を作っているけれど、
それにはきっかけがある。

今から15年くらい前、
大学の研修旅行で訪れた京都の寺(複数だったから名前は忘れた)の襖絵を
庭から見た時、背景に貼られた箔が反射して真っ黒に沈んだ絵を浮かび上がらせるという
忘れがたい場面に出くわした。
昔は電灯なんか当然なく、ろうそくの明かりで見ていたであろう襖絵を、
昼間全ての襖を開け放ち庭から射す外光で見せることも考えた絵師は素晴らしいエンターテイナー
だったと感服した。
そして、絵自体が生活の一部として必要なものであったからこそ、部屋の中だけでなく庭からも
見せるという発想は信じられないくらい絵画の世界を広げてくれた。

その経験から、いつか自分の描く絵にもそういった要素を取り込めないかと考えていた。
そして常に、現代の生活の中に必要な絵を描きたいと思っているわけだけれど・・・
ある偶然から、とても美しいものに出会ってしまった。

PARTⅡに続く

 

 

七色の黒 partⅡ

その日も描きかけの絵を窓際に立てかけて別の絵を描いていた。
朝その窓際のカーテンを開けてまた絵を立てかけ、下がって振り向いた瞬間声を上げてしまった「おいおいマジかよっ」(笑)

絵の後ろから射す窓の外光に映し出されたのは真っ黒だったはずの絵。
わはは、虹色だ!
美術の窓3月号で特集された通り、色を作る時にはかなりの数の色を重ねていくのだけれど、
それを表面からうかがい知るのはほんのわずかな色味の差でしかないと思っていた。

絵は前から光を当てて見るもの と思われているけれど、
裏側からの光で見るのもありなんじゃないかと思っていて、イタリアに住んでいたときにも薄い生地に
白でシルエットを描いて窓や路地に貼って両側から見るという試みをしていたんだ。

古来日本では、外光を取り入れたり遮ったりという機能を備えた襖や障子が発明され、
そこに絵を施していたりもしたわけだから、必然性があれば両面から見る絵画というのもアリかもしれない。
ちなみに、虹色というと 七色 言われているけれど、どうも国や文化によっては異なった解釈があるらしい。

以下虹についての解説(Wikipediaより抜粋)

虹の色の数は現在の日本では一般的に七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)と言われるが、地域や民族・時代により大きく異なる。日本では古くは五色、沖縄地方では二色(赤、黒または赤、青)とされていた。なお現代でもかつての沖縄のように明、暗の2色として捉える民族は多い。

まぁ兎に角 外見と内面は表裏一体 であるという誰でも知っているけれどもなかなかつかみ切れない
ことを深く掘り下げ 自分の表現 として絵にするきっかけを見つけちまったぜという話

この記事を書いている最中に地震がきた・・・

 

確認

とりあえず川崎は被害も少なく周りの友人共々私は無事です

皆様の安全を祈っています

さらば

 

先が見えないから引き返す

そんな生き方はしてこなかった

続きがあるかどうかなんて
そこまで行けば解ることだろう・・・

生きる為には
地面を蹴って飛ばなきゃいけない時がくる

さらば
過去の出来事!

NEW DAYS

 

先日大阪での個展が無事終わり
大盛況!・・・とはお世辞にもいえない結果だったけれど(笑)
それでもたくさんの方が見に来て下さり
聞くところによれば東京や横浜からもわざわざ足を運んでくれたり
買ってくれたりした人達があったようで

人と人 なんだなと改めて思える良い展覧会だった

相変わらず感慨にふける間もなく
春の福山での会期が4月17日に変更になったと電話があり
・・・本日17点を送りだし
ついにパリ展の為の制作に入った

絵を描くのはどこへ向けてでも同じだけれど 目指している世界 が違うのでまた新しい気持ちで向かえる気がする

なぜ絵を送り出した後の空は平和に見えるんだろう
と思いながら歩く道すがら
なんだかとても大きな波が迫って来ているような気がした
どこへ流されてしまうのか全く予想できないけれど
何かがゆっくりと大きく動こうとしているような気がしてならない

なんだろう・・・



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