このテーマを思いついたのは、多くの消えゆくものを目の当たりに
する機会が多いことに気付いた時だ。
大袈裟に聞こえるが、例えば歴史や文化、様々なシーン(例えば政治や芸術、スポーツ等々)
思想など時代の流れとともに終わりを迎える瞬間に立ち会う。
そしてそれらに代わるものが動き始める。
抗い、守り通そうとすることも一つの道ではあるが、
強者は強者として、弱者は弱者として、産まれくるもの、死にゆくもの、
そのままの在り方に対してのリスペクトを持っていたい。
とりわけネガティヴな事に対しては難しいので焦点を当てることが多くなる。
私自身は到底 聖人君主 ではないので、
日常的に怒りや不平不満、好き嫌いは山ほど持っているが、
全てに対して敬意を払って接したいと望んでいることを
せめて絵の中に残し世に投げかけたい。
これが今アーティストとして出来る最善の道だと思っている。
昨日はパリ郊外の画材店に買い出しに行き、
これから制作するための木枠とキャンバスを購入。
その後日本文化会館で開催されている 大津絵 の
展示のオープニングパーティーへ。
江戸時代に大津(現在の滋賀県)で制作された風俗画(漫画の元祖かな?)
を集めた展示で、内容も充実していてとても興味深かった。
そこで数人の知り合いにもお会いでき楽しいひと時だった。
数年前はテロ、ここ数カ月は大統領の政策に反対するデモ
を発端に広がるニュース、ノートルダムの火災などが話題になっている
けれど、街の各所はひどい有様だった。
デモ隊と警官の衝突やそこらじゅうの破壊や火の手は
所謂 壊し屋(なんでもプロがいるんだね)というのがやってるらしいが、
暴徒と化した行動は言論の自由どころの話ではもはやない。
今回も制作にきているのだけれど、
悲惨な事件や事故のニュースが山のように伝えられる度に
アーティストとしてなにが出来るかを考えてみても、
全神経を使わないと 無力、無能 の文字しか浮かばず、
ここに立っていることさえも無駄に思えるのだ。
無力な絵描きの小さな展覧会は ノクチューン という1年の内で最高の
期間に開催される予定で、
公のテーマ(自然)と自身のテーマ(消えゆくものへのリスペクト)
を合わせ、100号くらいのを何点も描くつもりだったけど
ギャラリーと相談の上少し控えめなサイズを描くことにする。
とは言え、1カ月と少しの間に展覧会全体の構成を考え、
80号を頭に20号まで6点の新作を完成させなければならないので
そう余裕はないのだけど。
朝食を済ませ、これからキャンバスを組み立てながら構想を
練ることにします。
本日無事にParisへ着き、これから2カ月弱またここで
制作→個展 という生活になります。
今回は大作を中心に展覧会のメインとなる絵を数点
制作する予定でやってきたのだが、
ノートルダム寺院の塔の焼失とか、週末のデモも厳重な
規制をしかれていて街中が落ち着かないけれど、
アトリエのあるモンルージュは平和な日差しに
満ちていました。
夕方の気温は26℃!そしてこの時期は夜9時前になっても
まだ明るい。
ここで、新たな絵にを生み出すべく全身全霊をそそいで向かいます。
このところ春から夏に予定されている展示の準備をし、
今日は画廊へ絵を納めに行き、
材料の和紙を大量に発注、航空券を買い、
旅の準備は着々と進んでいます。
描くごとに色々なものが見えてくる世界観をギュッと
まとめて高い密度で定着させるべくイメージトレーニングも
だいぶ形になってきました。
旅先で描く予定の大作に様々な要素を盛り込み、
凝縮された世界が見えるのを楽しみにしているところです。
F10 『舞う花の如し』
F20 『守り人』
サムホール 『舞う花の如し』
F4 『赤い森』