父親がこの世を去って丸2年が経つ。
生前、陶芸作家を生業としていた彼の昔話を思い出した。
最初の子供である私がまだ生まれる前、
日々我が道の追求に集中するあまり
生活費が底を突き、何かの時の為に と蓄えてあった金をやり繰り
していた妻(私の母親)から、
「もうお金がありません、研究はいいけれど少しは使える(売れる)もの
の制作にも気を向けてもらわないと」
と言われて初めて状況に気付くという様なこともあったと。
当人に聞いたところ
「そういえばよく飯がでてくるなぁと思ってたんだ」
こんな話を笑いながらしている父を見て
「母すごい、とーちゃんしょーがないやつだな」
などと思ったものだが、
まんま同じ道を歩いていることにはたと気付いた(笑)
とは言え、私の妻は「絵が売れないと困る」とか「お金が心配」だとか
は一切言わないでくれているのでストレスは皆無ですが(笑)
うーむ、それにしても使える絵ってなんだろうか?
私には特別なものが見えている訳ではない。
きっとそういうアーティストもいる事だろうが、
どちらにしろ信じる なにか を元に制作をしている。
その なにか のレンジはとても広い。
それを受け取る側のレンジもとても広い。
興味のない人にとっては何も響かないし、時には害になる
ことすらある。
それがどうした?
そう言ってしまえば身も蓋もないけれど
一見して大して意味があるとは思えないようなことの中から
意味のありそうなことを拾い集めて作品を作るというのも
視点の一つだと思っている。
使えるものと使えないもの
果たして次の絵がひとつの答えを見せてくれるかもしれない。