絵描きでいること

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縦が50cmくらい。

今から15年くらい前に描いていたDRAWINGのプリントが

写真を整理していたら出てきた。

原画は20枚以上、狭いスタジオのどこかに包んでしまったままだ。

 

ドローイングって線で描くって意味の前に

ピストル(剣)を抜くこと って意味が辞書には出ている。

 

なんかそんな感じだったな。

ボクサーをモチーフに、見えないモノと闘う姿を、

現時点の自らに重ねて向き合うしか手立てが無かった。

 

時々、それは突然心の奥に突き刺さる。

このままじゃダメだぞ という声。

重なる様に 分かっている! どうすれば? 答えはあるのか!?

それをなんとかするのが絵描きだろ・・・。

という声が瞬時に降り積もる。

 

他人の顔色を伺いながらなるべく誰にも火の粉がかからない所を

見つけて進む、尚且つ生産性を保つなんてそりゃぁ大したモンだけれども、

おれにとっちゃそんなのはまっぴらゴメンだぜ!と言い続けて手に入れた

アーティストって居場所だ。

 

楽な場所だなんて端から思っちゃいねぇ。

その代わりに、

お前なんかなんの役にも立たねぇよ

そんなことするよりやることあんじゃねーのか?

という声を聞きながら、それでも謙虚に堂々と路を切り開きながら

生きるのがアーティストってことだ。

 

家族にも親にも、友人たちにも生徒達にも

そして見えないところで支えてくれているファン達にも

これじゃぁ顔向けできねーじゃねーか

って毎日思いながら生きていくのが絵描きなんだな。

 

ギリギリのところを歩いてるけどさ、

おれは中途でやめるなんてことはしないぜ。

死ぬまで見えないモノと向き合って、

最後に あいつ馬鹿だったけどやりやがったな って

そういうふうにいなきゃなって思う。

 

近頃なんだかザワザワするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

New works

来月開催されるされる台北のアートフェアに向けて

制作していた大作2点と小品2点を送りだした。

過去5年参加し続けているアートフェアだけれど、

毎年出品する絵の 感じ は変えている。

受け入れられる時もあれば、何らかの理由で必要とされないこともある。

ギャラリストは現場にいて生の声を直接聞いたことを

伝えてくれるけれども、

だからといってそこに100%沿うような事はない。

そうは言ってもお互い生活をかけた勝負をしているので

全く耳を傾けないって訳でもないけれど。

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4~5点を出品する内の数点はこんな感じ、

縦163cmある木のシルエットには小さな鳥を隠し描いてある。

可愛いから じゃない。

目立たない様にしたのは、野生の世界で目立つって事は

即、死を意味するって事を忍ばせたかったから。

反面、夜でも昼でも自分の都合で生活する時間帯を変えるのは

人だけだって事を描いたのが、「 SHADOWS OF THE NIGHT」

夜の街の絵だ。

 

これまで、色々なタイプの絵を描いて来た。

今のスタイルになったのは2003年くらいだったか、それから13年程の間に

描いた絵は650枚以上になると思うけれど、当然初期の頃とは随分と雰囲気も変わってきた。

それが成長だ。

昔の絵が好きだという人もいる。

今の絵が好きだって人もいる。

ただ、今もずっと前も、

描いていればいろんな事を言われる。

感じ方は人それぞれだ。解らないと言われたり、ボヤッとしてると言われたり、

寂しすぎる とか 明るすぎる とか、虫は嫌い だとか ヤモリは気持ち悪い だとか。

 

今回も、 地味すぎる だって。

明るくハッピーに見える絵は沢山描いたよ。

それに飽きちゃっただけだ。

 

 

 



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