今年の制作活動はもう1年分が動き出していて、

目の前の展示に向けての制作とか、秋の展覧会のための準備だとか

これまでとまったく違う表現の絵を描いたりとか、

これまでのまとめ的な大作を描いたりとか、、、

多方向へいっぺんに進んでいる。

ここ数年でも絵の印象は変わってきていて、

そのときの環境や感情を含め、その時にしか見えないものを

描いている。

それを見てくれている人たちから時々色々な感想を聞かされる。

近頃の絵は優しいとか暖かいとか。

自分の存在意義を必死で探していた時とは必然的に見えることは変ってきている

訳で、その結果が柔らかさになっているのなら、良いことだと思う。

ただ、心の中に持っている刺が抜けたと思われるのは抵抗がある。

長い目で見れば、今のこの状態があってこそ次の展開があることを

表現できると思っている。

今というリアルな衝動と反応、それを続けていくことで出来る道、

その間で常に心は揺れ動いたり留まったりしている。

心の中に持っている刺の先を鋭く研がなきゃ駄目だぜ!と絵に向かおうと思ったら、

描きかけの絵に窓から射す光と影が。

クッションの柄にそっくりってどーよ。

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夢に見たこと

 

どんな理由があろうとも、どんなに理解が出来なくとも、

人の信念を否定する権利はない。

ましてや、嘲笑って面白がるなんてのは表現とはほど遠い。

と思う。

切った貼ったの騒ぎになっちゃあどうしようもないけれども、

そうなる前に考えることとやることがあるだろう。

風刺画を描いた奴、描いている奴がいるのはいい。

もともとそれだって歴史のあることだ。

自分の描いた物が表現だって言うのもいい。

アーティストは皆そう信じている。

けれども、人を嘲るほど偉いのか?

それを 自由 だって言わなければ他に道はないのかい?

表現者として、絵を描く者として想像する。

あなたが目指したものはそんなものですか?

あなたが夢を見て、それを叶えたいと思っている世界は本当にそれですか?

やられた事にはやり返す。

それは、なんて言うか 日常生活レベルの普通 の反応で、

そんな 普通 の感覚で何かものが出来るとは思えない。

多方向に 普通でない 奴がいて歴史は作られているんだろう。

その普通でない感覚を、建設的な方向になんとか向けようっていうのが

政治なんじゃないのか?

人々がそう思える様になるために宗教は存在するんじゃないのか?

個人としてはムカッときたり、人を揶揄したくなったり、そんな感情は

もちろん持っている。

でも、アーティストとして 信念と誇り を持って作るものに

他人を笑ったり貶めるような心は微塵もない。

自分を相手のように、相手を自分のように見て

それで心躍ったり、癒されたり、悲しんだり、道が開けたり、違いを知ったり、

それを作るのがアーティストなんじゃないかって思っている。

描くために生きているんじゃない、生きるために描いている。

それを世界に向けて発信することがおれにとっての表現であり、

アーティストになりたいと志し、夢に見たこと。

 

 

 

 

 

 

絵を描くということ

上大岡京急百貨店でのギャラリートークは

小雪がちらつく天候だったにも関わらず、

大勢の方々がいらして下さり、盛況でした。

20分程でしたが、トークの内容を書こうと思います。

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今回は改めて、絵描き吉川龍としての生き方と信じていること

の話をしようと思います。

アメリカで同時多発テロが起こった翌年の2002年のことです。

今から13年くらい前、絵画教室と居酒屋で料理するアルバイトで食いつないでいた頃です。

絵は描き続けていましたが、漠然としていて、

でもなんとなくこのままじゃあいけないってアメリカやらイギリスやらを旅して、

必死にきっかけをさがしている、その頃に今の絵のスタイルになったんですけど。

 

真冬のニューヨークを一日中歩いてひたすら美術館を見て回ったりしていて、
その朝も5thAveを歩いていて、ふと振り返ったら逆光の景色が目に映り込んできたんです。

焦りやら苛立ちやら自信のなさなんかを見透かされてる気がして、

なんとなくその逆行の景色の写真を撮って、ベッドの他にスーツケースを置いたら

それでいっぱいくらい小さな部屋のホテルに帰って水彩画を描いて、

その時に色々腹括って、何とか描いて行けるんじゃないか?って思える希望を探していました。

きっかけが逆光だったもんで、何時でも光の方を向いている時に見える景色を描こう!

って思った訳です。

そんな感じで10年の間に色々探りながらも500枚以上は描いて来ました。

その頃の絵の始まりが このままじゃ生きていかれない って所からだったわけですけど、

その頃の絵は 寂しさが漂っていたりもう少し暗い雰囲気もあって、当時はその感覚がしっくりきていたんですけど、

今は、少しずつ色も増えて、暖かさや柔らかさもでてきて、こうやって絵と向き合って生きていけるんじゃないかな?

と思って描き続けています。

 

身近なところでも遠くでも、理不尽ってあるでしょう?

自分の中でさえどうしようもない矛盾が生じます。

矛盾と真剣に向き合って、答えのないところから新しい答えを探して、

理不尽に直面した時には 当たり前 の意味を噛み締めて。

どこかで、自分の回りだけでも今日の続きが明日もあるって思わないとまともな精神じゃいられない。

そんな気持ちで見た普通の景色の中に、ほんの少し希望につながる様な、光なり影なりが見つけられたら

そう思ってキャンバスに向かい、描いているのが今の絵です。

 

この春にパリへ行って2ヶ月位制作します。

ルノアール、藤田、ユトリロ、シャガールなどなど、パリでも描いていた歴史に名を連ねる

巨匠たちの絵が隣の壁に掛かっていますね。

私が100年前に生きていたら、彼らと同じ場所で一緒に絵を描いていたらって

時々想像するんです。

熱い話をしたか、下らねぇってケンカしたか、一緒に酒飲んでベロベロになってたか。

戦争中だったり、国を追われたり、貧困だったり、そんな中でも絵描きは絵を描き続け、

それがあったからこそ我々がここで絵を描けるということもあると思っています。

世界中どこでもいい、当たり前の意味を知る為に絵を描いて、

そうやって生きて行ったら、またきっとその先の、

新しい答え、自分の世界が出来るんじゃないかと思っています。

そして、それを継いで行けるように描き続けていこうと思ってまた絵に向かおうと思います。

 

 

 

 



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