憧れの花の都は最初から楽園だった訳もなく、まずは長期滞在するにあたって数々の掟を覚える必要があった。
イタリアにいる日本人のおれに道でいきなりニコニコ話しかけてくる外国人はだいたい財布を狙っているとか、
1日に2つの約束をいれてはいけないとか、朝から律儀に順番を守っていると夕方になっちゃうとか、
目を見て大きな声で話さないと相手が呆れてどっか行っちゃうとか、1年間同じ自転車を乗っているヤツは珍しいとか。
結局中古で手に入れた自転車には本体よりも高い鍵を付けてアパートの中まで持って入る徹底ぶりで1年間乗り続けたけど、
帰国時にあげた翌日盗まれたとか。
ネガティブなことを列挙するのは色々不自由な環境でポジティブに生活していく為の防御策だったのだ。
今思えばもっと気楽に行ければ良かったんだけど、なんせギラギラした目で勝ち取った国費留学の派遣だったから、
正直そんな余裕はなかったんだろうなぁ。
勉強の方も問題山積みで、語学学校やらアパートの契約(結局これは1人でやった)
から絵を描く環境作りから沢山の人の助けを借りてなんとかスタートラインに立ったのだ。
でも日本から送った画材も冬服も届く気配がなかったけど。
フィレンツェへ行く前に、留学先を探す為にニューヨークとロンドンを訪れて居たのだけれど、
最終的にフィレンツェを選んで留学試験にエントリーした理由は日本との共通点と圧倒的な差を同時に見いだしたからだった。
その内の1つは暮らしのスタイル。
家具、美術品、楽器、革細工など様々な職人がいる街で、住居は長屋(フィレンツェで戸建は珍しい)、
絶対的な地元愛を誇りにし、人との距離が近く挨拶は基本。そうかと思えば本当の仲間以外は1線を画す面もあり、
都って自然とこういう風になるのかな、と思ったのだった。
そんなところで絵描き志望の青年が何をするべきか!?アルノ川の畔で途方に暮れる訳にもいかず、
まずはここの暮らし振りに溶け込む事を目標に、食事から道の歩き方まで真似をしてみたりした。
毎日エスプレッソとパンとパスタと肉とワイン。時々ジェラート。
お陰で大して飲めなかったアルコールはワイン1本位は空く程度には楽しめる様に。
イタリア語はと言うと、アパートの契約時には電子辞書を片手に必死だったけど、
語学学校へ通い3ヶ月が過ぎる頃には毎日の買い物や切符を買って列車で各地へ出かけるのには苦労しない程度には慣れたのだ。
この間に出会った友人達とはその後長い付き合いになるのです。
そしてこの頃やっと画材が届き(とっくに諦めて現地調達してた)、相変わらず冬服は届かないままの12月のフィレンツェだった。
続く のか?
最初の研修で訪れたFIRENZE 以下当時描いたスケッチ。
研修の帰りに寄ったMILANO
PISA
FIRENZE
SAN MARINO
SICILIA TAORMINA
PERUGIA
LUCCA