足りないもの

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これまで幾度となく災害とか事故とか事件とか、

惨事を目の当たりにして自身の在り方を見直してきた。

その度に複雑に絡んでいると思っている様々なことを

大きく2つに分けて考えてみる。

 

大切なこと と どうでもいい こと。

 

深く深く追求したいとすら思っていた絵を描くことの

意味すらも簡素になっていく。

純粋に と言ってもいいのかもしれない。

命がある ことは大切なことの大前提として、

もう一つ、それは想像力。

決まった答えを導くのに長けている事はとても有益で

世の中に必要な能力である事は明らかではあるけれど、

答えのないものに対してどう振る舞うかと言う姿勢も

また人が生きていくために必要な力だろうと思う。

 

慮る(おもんばかる)give careful consideration

と言う言葉がこの場合最も的確だと思うのだけれど

どーでもいいこと の多くにこの想像力が足りていない

と感じる。

 

目の前の世界の光と影を描いた絵に

生きる力と想像力があればそれが全てだ。

 

 

 

パレットの話

絵を描く時に必要なもの支持体(紙とかキャンバスとか)

筆とか絵具とか、そしてその絵具を溶くパレット。

油絵を描いていた浪人生の頃はこのパレットを自作する

のが何となく習わしだった。

シナベニヤの板にリンシードオイルを幾層にも塗り、

そこで絵具を溶き磨いてはまた絵具を溶く。

繰り返しているうちに艶々ピカピカのパレットが育つ

という訳です。

大学院を出て数年後からオリジナルの表現を求めた結果

油絵具を使わなくなり代わってアクリル絵具を使っている。

 

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これはパリのゴミ捨て場で拾った木の板をアクリル絵具の

パレットにしたもの。

白はだいぶ盛り上がってる。

10号以下の小さな絵を描く際には随分使ったなぁ。

 

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裏返したところ。

ビミョーに反っていたのでシャンパンのコルクを切って

脚に、バーでもらった紙のコースターとか飲んでいた

安ワインのラベルとかが貼り付けてある。

 

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そんな感じで拾った厚紙もパレットとして使い、

パリでの制作の終わりと共に白で塗りつぶしてその上に

飲んでいたワインやウィスキーのラベルを貼り付けて

メモリアルボードにしたもの。

額縁をつけて今は絵の道具を入れる物入れとして現役中。

置いてあるのは絵具の溶き皿として使っている紅茶の缶とか

ビスケットの缶の蓋。

 

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そんなこんなを経て数年のうちに国外で制作する機会も増え

どこでも手に入り軽くて可変自在、変な愛着が沸かないもの

として活躍しているのが段ボール板。

送られてきた画材とか家電とかビールとかウィスキーとか・・・

タダだし軽いし変わりは山ほどあるし両面使ったりして

その後娘の工作の材料にしたりと何かと便利&無駄がない。

と言う特にこれといったオチもないお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

将来の夢

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幼稚園が冬休みだった間、毎日アトリエに入り浸り

絵を描くおれの後ろでyoutubeを観ながら時々入るCMに合わせて

「バイト探しはインディード♪」などと口ずさむ4歳児。

ドキッとするからやめておくれよ(笑)

 

「おとーさんの将来の夢ってなーに?」

「絵描きさんかな」

「そーだよねぇ〜」

「緋色の将来の夢は?」

「怒らないおとーさんとおかーさんのいる将来♪」

 

お互い将来のゆめに向けて頑張ろうな。

 

 

 

 

 

心の行方

不安というのは

人を狼狽させるものなのだと常々感じている。

子供の頃からそういう場面はいくつもあった。

運動会や発表会、試合、テスト、受験、事件、事故・・・

思い当たる節はこの他にもたくさんある。

その時々でどう対処してきたか、

都度判断を下しどう振る舞ってきたか。

その結果を経て今に至る。

 

2002年、ニューヨーク同時多発テロが起きた翌年の冬、

おれは独りニューヨークの街中を彷徨っていた。

ニッポンジンのただの田舎の兄ちゃんの一人旅ではあったけれど、

そこには一生ものの出会いと経験があった様に思う。

手当たり次第画廊や美術館を見て回った1週間ほどの間に

この街で暮らす人たちのリアリティを感じた。

ユーモアに出会ったり、危うい一面を垣間見たり、優しさに触れたり。

そんな折、主に伝統的な絵画を収蔵している美術館を訪れたときのこと、

そこにいたご婦人が声をかけてくれ、

「立ち直れないほどのダメージを受けている中でこれらの美術に救われた」

という様なことを言ってくれた。

当時はアルバイトで貯めたお金を握り締め・・・的な感じだったのだけれど

おれもいつかはそんな力を持つ絵を描いて世に出したい と思った瞬間だった。

現地で世話をしてくれたアーティストは生計をたてるためにレストランで働き、

毎日皿洗いやエビの皮剥きをひたすらやって迎えた給料日に強盗に遭い全額盗られた

事が3回ある、あの時に戻ることを思えば何でも辛くはない、と。

 

人にはそれぞれの構えと覚悟があると思うが、

試されていると感じる。

 

おれが絵を描くことで誰かの心に一筋でも光が射すことを願っている。

 

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