VISION

何年振りだか何十年振りだかで降り積もった雪は、

子供のころ栃木で降っていた半分くらいの量で、

個人も公共も大騒ぎだったけれど、日常的でないことへの対応

というのは大変なんだな と実感した。

 

ここ数年は隔年で東京での個展、岡山や広島など西の方での展示会

をこなしていたのだが、今年はあまり展示会の予定が入っていない。

それでも東京の画廊の尽力で昨年の個展に出品した大作の売約が立て続けに決まり(祝)

新たに手がけている絵も数日後には納める為に、今日は一日中絵描き部屋に

こもって最終仕上げをしていた。

F50流れに瞬く2014

 

 

F30Moon glow2014

 

 

展示会の数が例年より少ないとはいえ、グループ展は各月くらいで予定されているし、

秋には博多で個展があるので準備を始めなきゃ、と思ったりしつつ、

友人が送ってきた 世界を相手に活躍するアーティストを取材した動画なんかを

観ながら、鋭い切り口の新たな動きを模索し、今年中には1歩を踏み出したい!

と悶々としている。

絵描きを目指している時には、誰にも頼まれずとも毎日のように絵を描いていた訳だけれど、

望まれて描くということはとても大事だと思い至る。

たとえ世間を敵に回してでも絵を描く!という覚悟は、長年の下積み時代と共に

ばっちり身に沁みこんじゃって、プロになってもその 学生ノリ みたいな根性論と自己満足から

抜け出られないことが多い。

そういうスパイラルにどっぷり浸かっちゃっているとずっと気付かないんだと思うけど、

時々 このままじゃダメだ! 抜け出さなきゃ! という強迫観念に襲われる。

望まれるというのも難しく、

世間は何を望んでいるのか?をリサーチして応えるというやり方はアーティスティックというよりは

ある種の企業的アプローチにみえるし、

個人(またはチーム)で開発したものを、望まれる前に提示して浸透させる

というのがクリエイティブな展開なのか?

その後望まれることに応えると職業画家的に見えるのか?

考えるときりがなく、結局悶々とするわけだけれど(笑)

感覚的になんか見えそうな気がしている。

そして見えそうなそれを掴みに行きたい!

海の向こうを見ながら一歩を踏み出す様なものだけど、

踏み出す時には確実に方向は決まっている時だろうね。

世界に行きたいんだ。

f100kanatayori2011

そんなことを考えつつ2年前の個展の時に描いた -彼方より- 。

これも今年になってからある会社に納めてくれることになった。

悶々としながら描いた絵が誰かの元へ渡るのはとてもエキサイティングなことだ!

 

 

 

 

プロってなんだ?

今週水曜日に始まり、明日土曜日までの期間で銀座洋協ホール6Fにてグループ展に参加しています。

幾つかのギャラリーの若手ギャラリストが中心となってそれぞれ作家を紹介する

という形で、ギャラリー同士、作家同士、ファンの方々の交流の場として発展させたい

という趣旨の展覧会で、紹介される作家のほとんどが 若手 と呼ばれるキャリアで、

実は5年ほど前にも日動画廊から出してもらったことがあり、今回で2度目の参加だった。

最近キャリア的に、というよりも年齢的にも 若手 の枠から押し出されつつある状態で(笑)

このグループ展でも出品作家13名中最年長だった。

IMG_7176

 

東京画廊の山本豊津さん進行の下、日本の絵画を考える というタイトルのトークイヴェントにも参加。

20代、30代の作家がほとんどを占める中で、どういう立場で喋ろうか、なんて考えながらのトークだったけれど、

例えば、昨今情報の入り方として映像(テレビやパソコン等)というメディアが当たり前になる中

作品(絵画のみならず彫刻、デザインなど)制作に及ぼす影響はどの程度あるか?

や、アートの歴史になぞらえた時代時代での価値観やその基準をどうとらえているか?

などの内容は興味深く、それぞれの話を聞きながら思うことを話した。

 

後で友人たちに、言ってることは解りやすかったけど、途中つまんなそーな顔してましたねぇ と言われてしまい、

あれ、ばれちゃった?と思い(笑)少しは立場を考えて参加したのに顔にでるなんてどーよ?と

ちょっと反省した。

が、つまらないのは内容ではなく、若い作家の話し方だったのよ。(ほう!と思う方もいたけど)

自分にも思い当たる事があったけれど、とかくキャリアが少ない頃は、

自分に足りないものや実現出来ていないことに触れて話すことが多くなり、

まあ自信がないことの表れだったりするのもわかるんだけれど、

もう プロフェッショナル として出ているんだから、今の自分はこれです、という部分を

ちゃんと話せばいいと思う。

しかも、オーディエンスがいるのに声が小さくて聞こえないなんて論外でしょう。

ベラベラしなくったっていいけれど、アーティストが喋らないなんて無責任だと思うわけです。

 

大学卒業間もない頃、ニューヨークへ行った際にギャラリストやアーティストから

まだ出来てない とか 勉強中の身なので 等の言い訳は全く聞いてもらえないし、

じゃあいつ出来るようになるの?いつからプロとして価値観の提示をしていくの?

プレゼンテーションする、ショウをするならば観てくれる人達大勢に向かって

しっかり自分のことを話すべきである というアドバイスをもらったことがあり、

(日本人は謙虚だと捉えがちだけど、世界では通用しないことだ とも)

それについては他の作家の本を読んだり自問自答を繰り返し、なぜこれを描いているのか?

どこへ向けているのか?なぜこういう方法をとっているのか?他の作家やメディアとの棲み分けや影響について、

など全てに答えを持つためのトレーニングを随分とした。

何を軸とするか、軸はあってもテーマや考え方は少しずつ変化していくので、その変化に

対してどう対処するか、は今でも続いている。

 

モノつくりはそれぞれ、これでイケる!という感覚的な自信を頼りに制作に取り組み、作ったモノを発表する。

その上で、誰にどう観て欲しいのか、その為に情熱や知識や技術をどれだけ使ったのか、

その集積が作品(思想)となるわけで、胸を張って伝えなければプロフェッショナルではないと思う。

足りないものがあるのは死ぬまで続くし、それが無ければもうアーティストではない、

とおれは思っている。

IMG_8222

 

それにしても、甲子園球児レベルの若手作家相手に

超一流メジャーリーガーを引き合いにだし話を進める展開には、

半分苦笑い(話遠すぎるでしょ)

半分はギャラリストの使命感(いつかこの中からその領域に行くやつがいるかもしれない、という扱いをする)

に感心したわけであります。

アーティストもギャラリストもかくあるべきという姿勢について自分の行く道を確認したのでした。

おしまい。

 

 

 

 

 



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