何年振りだか何十年振りだかで降り積もった雪は、
子供のころ栃木で降っていた半分くらいの量で、
個人も公共も大騒ぎだったけれど、日常的でないことへの対応
というのは大変なんだな と実感した。
ここ数年は隔年で東京での個展、岡山や広島など西の方での展示会
をこなしていたのだが、今年はあまり展示会の予定が入っていない。
それでも東京の画廊の尽力で昨年の個展に出品した大作の売約が立て続けに決まり(祝)
新たに手がけている絵も数日後には納める為に、今日は一日中絵描き部屋に
こもって最終仕上げをしていた。
展示会の数が例年より少ないとはいえ、グループ展は各月くらいで予定されているし、
秋には博多で個展があるので準備を始めなきゃ、と思ったりしつつ、
友人が送ってきた 世界を相手に活躍するアーティストを取材した動画なんかを
観ながら、鋭い切り口の新たな動きを模索し、今年中には1歩を踏み出したい!
と悶々としている。
絵描きを目指している時には、誰にも頼まれずとも毎日のように絵を描いていた訳だけれど、
望まれて描くということはとても大事だと思い至る。
たとえ世間を敵に回してでも絵を描く!という覚悟は、長年の下積み時代と共に
ばっちり身に沁みこんじゃって、プロになってもその 学生ノリ みたいな根性論と自己満足から
抜け出られないことが多い。
そういうスパイラルにどっぷり浸かっちゃっているとずっと気付かないんだと思うけど、
時々 このままじゃダメだ! 抜け出さなきゃ! という強迫観念に襲われる。
望まれるというのも難しく、
世間は何を望んでいるのか?をリサーチして応えるというやり方はアーティスティックというよりは
ある種の企業的アプローチにみえるし、
個人(またはチーム)で開発したものを、望まれる前に提示して浸透させる
というのがクリエイティブな展開なのか?
その後望まれることに応えると職業画家的に見えるのか?
考えるときりがなく、結局悶々とするわけだけれど(笑)
感覚的になんか見えそうな気がしている。
そして見えそうなそれを掴みに行きたい!
海の向こうを見ながら一歩を踏み出す様なものだけど、
踏み出す時には確実に方向は決まっている時だろうね。
世界に行きたいんだ。
そんなことを考えつつ2年前の個展の時に描いた -彼方より- 。
これも今年になってからある会社に納めてくれることになった。
悶々としながら描いた絵が誰かの元へ渡るのはとてもエキサイティングなことだ!