描く と 理由

浪人時代から、ありとあらゆる物を描く練習を半ば強制的に行い

その後、もう二度と描くことは無いであろう物が殆どだったり

するのだが、

これだけやったら、目に触れるもので描いたことの無いもの

なんて無いんじゃないか!?

と何となく思っていた。

先月初めて我が子を描いた。

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寝てしまっていたので思い立って鉛筆を走らせ、

描きながら 知らないライン が多すぎることに気づく。

うーむ、こりゃ描いたことねーな。

 

そしてもう一つ。

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なんと富士山。しかも赤い。

これも描いた事ねーな。

 

富士山と言えば北斎、大観、サント・ヴィクトワール山といえばセザンヌ

みたいな絵描きもいる訳で、

別に 描かない! と決めていた訳でもないのだが、

後追いみたいなのは嫌だったし、なんせ 描く理由 がなかった。

 

ほんのちいさな理由でも、描く理由が見つかればいい状態で仕上がるものなのだ。

実は富士山、1枚だけ 大きいので描いてみたい と思っている。

 

 

 

 

 

絵描きでいること

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縦が50cmくらい。

今から15年くらい前に描いていたDRAWINGのプリントが

写真を整理していたら出てきた。

原画は20枚以上、狭いスタジオのどこかに包んでしまったままだ。

 

ドローイングって線で描くって意味の前に

ピストル(剣)を抜くこと って意味が辞書には出ている。

 

なんかそんな感じだったな。

ボクサーをモチーフに、見えないモノと闘う姿を、

現時点の自らに重ねて向き合うしか手立てが無かった。

 

時々、それは突然心の奥に突き刺さる。

このままじゃダメだぞ という声。

重なる様に 分かっている! どうすれば? 答えはあるのか!?

それをなんとかするのが絵描きだろ・・・。

という声が瞬時に降り積もる。

 

他人の顔色を伺いながらなるべく誰にも火の粉がかからない所を

見つけて進む、尚且つ生産性を保つなんてそりゃぁ大したモンだけれども、

おれにとっちゃそんなのはまっぴらゴメンだぜ!と言い続けて手に入れた

アーティストって居場所だ。

 

楽な場所だなんて端から思っちゃいねぇ。

その代わりに、

お前なんかなんの役にも立たねぇよ

そんなことするよりやることあんじゃねーのか?

という声を聞きながら、それでも謙虚に堂々と路を切り開きながら

生きるのがアーティストってことだ。

 

家族にも親にも、友人たちにも生徒達にも

そして見えないところで支えてくれているファン達にも

これじゃぁ顔向けできねーじゃねーか

って毎日思いながら生きていくのが絵描きなんだな。

 

ギリギリのところを歩いてるけどさ、

おれは中途でやめるなんてことはしないぜ。

死ぬまで見えないモノと向き合って、

最後に あいつ馬鹿だったけどやりやがったな って

そういうふうにいなきゃなって思う。

 

近頃なんだかザワザワするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

New works

来月開催されるされる台北のアートフェアに向けて

制作していた大作2点と小品2点を送りだした。

過去5年参加し続けているアートフェアだけれど、

毎年出品する絵の 感じ は変えている。

受け入れられる時もあれば、何らかの理由で必要とされないこともある。

ギャラリストは現場にいて生の声を直接聞いたことを

伝えてくれるけれども、

だからといってそこに100%沿うような事はない。

そうは言ってもお互い生活をかけた勝負をしているので

全く耳を傾けないって訳でもないけれど。

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4~5点を出品する内の数点はこんな感じ、

縦163cmある木のシルエットには小さな鳥を隠し描いてある。

可愛いから じゃない。

目立たない様にしたのは、野生の世界で目立つって事は

即、死を意味するって事を忍ばせたかったから。

反面、夜でも昼でも自分の都合で生活する時間帯を変えるのは

人だけだって事を描いたのが、「 SHADOWS OF THE NIGHT」

夜の街の絵だ。

 

これまで、色々なタイプの絵を描いて来た。

今のスタイルになったのは2003年くらいだったか、それから13年程の間に

描いた絵は650枚以上になると思うけれど、当然初期の頃とは随分と雰囲気も変わってきた。

それが成長だ。

昔の絵が好きだという人もいる。

今の絵が好きだって人もいる。

ただ、今もずっと前も、

描いていればいろんな事を言われる。

感じ方は人それぞれだ。解らないと言われたり、ボヤッとしてると言われたり、

寂しすぎる とか 明るすぎる とか、虫は嫌い だとか ヤモリは気持ち悪い だとか。

 

今回も、 地味すぎる だって。

明るくハッピーに見える絵は沢山描いたよ。

それに飽きちゃっただけだ。

 

 

 

様候

田中顕次郎 作品展 様候-ようそろ-

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を観た。http://www.galleryk.info/exhibition/2016/20160915.html

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彼との出会いはもう17年か18年も前になる。

同じ職場、絵画教室で受験生を教えたり一般クラスを教えたり。

年もほぼ同い年。

大学時代も同じキャンパスに彼は日本画科、おれは油画科でいた

はずなのだが、殆ど会った記憶がない。

 

ここで彼との細かい話しは割愛するけれど、

モノ創りとしての彼を知った上で個人的な期待度は満点で

観に行った展示は、ナカナカ良かった。

ナカナカってどのくらいかっていうと、

1点購入するくらい。

 

田中顕次郎は前の記事の塩田千春と比較すると

世間の評価、知名度としては天と地、雲泥の差(スマン!)

ではあるけれど、

個人的には同レヴェルのアイデンティティ、知識、テクニックを持った

アーティストの一人だと思っている。

 

モノ創りとして、絵描きとして、なにが大事か。

出会った頃はそんなことをネタに激論を交わし、

割と温和な彼が眉間にしわを寄せ、舌打ちしながら

お前が言うなら一理あるか・・・

というくらい意見をぶつけ合ったのはいい想い出だけれども、

実は今でも 絵を教わるなら 彼に付きたい

と思っている。

 

彼との話しは語ればキリがないけれど、

良いもの手に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

鍵のかかった部屋

塩田千春 鍵のかかった部屋

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を観た。

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2001年の横浜トリエンナーレで、

吊るされた

泥にまみれた巨大なドレスがシャワーで洗い流されてゆく

という作品を観たのが彼女の作品との最初の出会いだった。

 

プロフィールを見ればほぼ同い年。

ベルリンに住んで20年とのこと、

初めて作品と出会った当時、おれは絵画教室と居酒屋の調理場で

料理を作るアルバイトをしながらなんとか絵を描き続けていた。

いまだ叶えられない、美術館での大きな企画に出品し、

昨年にはヴェネツィア・ビエンナーレでの展示も行ったその活躍ぶり

はいささか眩しく、そしてその作品のクオリティ、スケール、コンセプト

などは素晴らしく、対抗心よりは尊敬の念すら持つアーティストとして

今も気持ちのどこかに引っかかる人であった。

 

展示内容はこの場では割愛するけれど、

とにかく自分でも珍しいな、と思うくらいの期待度で拝観した結果、

素晴らしかった。

ひと部屋に制作されたインスタレーションを堪能した後、

仕立てのいいカタログを購入し、彼女のギャラリートークを聴き、

更にはおれ的にはありえないというほどの珍しさでサイン会に

先頭で並び(結果としてそうなっただけだが)

持参したシルバーのペンを差し出しカタログの真っ赤な見開きに

サインをしてもらったのだった。

 

カタログに寄せられたご自身のお話から、

アーティストであるがゆえの苦悩や壁を感じはしたものの、

それはおれの信じる本物のアーティスト然としたもので、

そこすらも勝手に激しく共感したのだった。

 

今後、アーティストと一ファンとして以外、なんの接点もないかもしれないけれど、

多くの人が共感、感化されるように、心のどこかにいつもある

そんなアーティストになる様な気がする。

 

いいもの観た。

 

 

 

 

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