パリの街の中心地に新しい美術館が建設中であるらしい。
元商品取引所であった場所に作られるその美術館のデザインは
フランスきっての大富豪フランソワ・ピノー氏の指名で
日本の建築家、安藤忠雄氏が担当しているとのこと。
安藤氏をはじめ今や日本の建築家のフランスでの活躍は目覚ましいらしい。
ピノー氏といえば、
火災による崩壊でパリ市民に多大な精神的ダメージを与えたノートルダム大聖堂の
塔の損失後、再建に際し100億とか200億とか(円換算)の寄付を
申し出た方でもある。
たかが建物にそんな金出すなら我々にもなんとかしろ という
一般市民の不満(これもデモの勢いを煽っている)が大きくなるばかりのタイミングで
全く別のことが進んでいるのもまた事実なのだ。
失ったものは元には戻らない。
ではそのあとをどうするか。
この塔は過去に再建されている歴史があるが再びその機会が
訪れた今回、建築家というアーティストは次の事
にいち早く着手し始めている。
次のデザインをどうするか? 誰が建てるのか?
早くもコンペティションが開かれ、元の姿を復元する保守派と
これからの象徴としてのデザインを推す改革派(?)の案が賛否両論の
火花を散らしている とニュースになっている。
これは数年前に私がとった写真
これらはネットからの画像なので荒れていますが
コンペにエントリーされている一部のデザイン。
その他屋根の部分をガラス張りにして内側を温室のように
植物を植える案などもニュースでは紹介されていた。
いづれにしてもネガティヴなことをポジティヴにとらえるアーティスト
がいるのも事実なのだ。
そして実はここからが本題で、
アーティスト=変わった人
というイメージが多かれ少なかれあろうと思うのだが、
当人はそんなことは全くもってどうでもよく、気付こうともしないので
たぶん私自身にも当てはまることは数多あるとおもうが、
端から見ると不思議というかやはり変わっているというか。。。
ご覧いただけたであろうか・・・。
そう、これは紛れもなく炊飯器の内釜である。
10年ほど前に初めてパリのアトリエに来た時には既にこの状態
だったと記憶している。そしてこのアトリエは日本人しか使ってないはず。
大量の油絵具を溶く必要に迫られたアーティストがその瞬間に選んだ
その目的を叶える物がこれだったのである。
こんな大きさの容器1€か2€で買えるだろ と思うのは正常な人の思考。
自分のものなのか、たまたまあったものなのか、それは知る由もないが
この状態で今も使われ続けている。私は今回は水入れとして使っているが、
確かに外側だけの 炊飯器 が棚の奥に仕舞われている(笑)
要するに、頭の中で常に考えているなにがしかが
形になって目の前に現れる予感がした瞬間に、
それに必要なものに手を伸ばすというのはごく自然な事なのだ。
それが本来どんな目的で作られたものであってもそんなことは
もはや関係ないのである。
そして作り出したものがどうだったかと言うこともまた
もはやどうでもよく、その衝動を感じられるか否か、
アーティストの存在意義はその一点に尽きる というのは
我々の抱く幻想の世界の話なので、結局は 変わった人 という事になる。
現代アート(コンテンポラリーアート)の歴史には
本来作られた目的以外の事をそのものに与える事
いうのが表現の一つになっている向きもある。
これについて話すと変人になりそうなので割愛するが、
まぁ 小便器 を床に置いたような レディメイド という名の
ゴミの一種だと思っている。(好きですけど)