暖かい日もいくらか増え、春が待ち遠しい。
3月に入りカレンダーの絵にも暖かい風が吹き始めた。
この絵の場所は偶然にも1、2月の絵と同じ場所を描いた
のだ。
何の変哲もない見慣れた場所にあるときグッとくる一瞬を感じ取る。
そういうのが好きなんだ。
これは暖かい風に日常が解され、活気のある音の混じる景色だ。
上大岡の京急百貨店での展示会が開催されて
今年で5回めの日動画廊洋画名品展です。
初回から毎年参加させて頂き、今年も8号2点を出品致します。
京浜急行電鉄は住んでいる所の最寄りの駅でもあり、沿線の場所で教えたりもしているので
馴染み深いところなのです。
そんな訳で、電車に乗っていると中吊り広告を良く目にしますが、
名前も出ていてびっくりしたりします(笑)
初めてと言う訳ではないのですが、今年も出ているとは・・・つい写真撮ってしまいました。
物故作家の超名作、現存作家の力作が無料で見られる良い機会ですので
是非お出かけ下さい。
これは今週描いた横50cm程の水彩画だ。
川縁に放置され、風にさらされた舟の絵だが、同時にある男の肖像でもある。
彼はこの近くの施設で病の中を漂っている。それを見舞った帰りに見た景色だ。
この絵の中に虚しさ、口惜しさ、悲哀、衰態 を見るだろう。
しかしまた 生命力、誇り、厳格さの中で舟は未だ力強い生気を残していることにも気付く。
忍び寄る黒い水と枯れた草は絵により深い意味を持たせ、水面(みなも)に映る空の青さは潔さと少しの悲しみを含んでいる。
こうして描き表すことで無情を受け入れ、そして彼の残した足跡、すなわち生き様が私に力を与えるのだ。
「冬の光 一陣の風」
不意に一陣の風が枯れ葉とコートの紐を踊らせ、
横に射す光は未だ空気が冷えている様子をあらわす。
技術はオリジナリティとはほど遠いが、
最近の絵の中で、最も意味のある絵の一つだと思える
水彩画を完成させた。
光と影 を 水と紙 で捉える
それがおれにはきっと合っている。
好きな絵描きと言えば、
アメリカ、ペンシルヴァニア州チャッズフォードの
画家Andrew Wyeth(アンドリュー ワイエス)がNo.1だ。
もちろん絵も好きだが、向かう姿勢が良い。
時々近付こうとして真似てみる、だが捉えようとしている事が違うので
必然的に絵は近付かない。
では日本の絵描きはどうか。
世話になっている画廊で時々目にする絵描きの中で群を抜いて良いのが
香月泰男と熊谷守一だ。
これも姿勢が良い。
3者とも、描かれた絵の筆跡をじーっと目で追うと、無限に続く絵描きの息づかいが見えてくる。
ワイエスの絵には近付きたい、が、「もし会っても話は通じなそうだ」
彼が2009年に亡くなったニュースを聞いた時にもそう思った。
そして、熊谷守一には到底近付けない。絶対無理。
「画壇の仙人」などと呼ばれ(そんなのは沢山いるが)
もちろん人付き合いもあっただろうし、奥方もお子様も居られたが、
その奥方に何度頼まれても絵が描けずあまりの貧困に子供が亡くなっていく様を
絵に描いて、 我ながら鬼だ と愕然とするというエピソードが残るほどの壮絶さ。
周囲の人たちがこれではあんまりだと助けてくれた等良い話もあるにはある、が、
最晩年の文化勲章の内示も「これ以上人が来る様になっては困る」と辞退。
勲等叙勲の内示の時も「お国のためには何もしていないから」と
これまた辞退する程の筋の通りようはもはや遥か彼方の人間性に感じる。
50年程も連れ添った奥方の
「主人にとって何が価値があるのか美しいのか、ついぞ私にも分かりませんでした。」
と言うのを読んでひっくり返りそうになった。
香月泰男はシベリア抑留の体験から生まれたシベリアシリーズが有名であるが
別の絵が好きなのでここは割愛。
ともかくこの三者に共通点があるとすれば、
長生き(香月は63歳だが熊谷は97歳、ワイエスは91歳まで生きた)
晩年にかけて生まれ故郷またはゆかりのある場所に何十年も住み続け
そこで見たものに全霊で立ち向かうという姿勢。
おれにも故郷はあるが、もはや出てからの方がずいぶんと長くなってしまい、
いつか帰って骨を埋めようなどと考えているわけではないのだが、
そんな生き方に、そしてそこで見たものを生涯描き続けることに
どこか憧れるといった血が幾らかは流れている。
そう思うと無意識の内に父親の影を追っている様にも思え、これもまた「あぁ、血か…」
と愕然としたりするのである。
遠い遠い血筋にパリで行方知れずになった絵描きがいると子供の時分に聞いたことがある。
危ない血も幾らか流れている。