毎日ゴミ箱のような部屋から絵が生まれています。
毎度の事ですが、自らの(色んな)限界を目指してキャンバスと
対峙しているのですが、やっぱり追い込まれると更に力が
湧き出てくるタイプのようです。
「ずっと描いてて飽きませんか」とか
「同時に違う絵を描いて混乱しませんか」とか
時々聞かれますが、描いているの楽しいんですよ。
そして新しい絵が生まれる瞬間は特別なのです。
今はアドレナリンがジャブジャブでている時期なので
もうずーっっっっっと描いていたいのです。
どこにも行きたくないのです。
睡眠もいらないのですが無理なので仕方なく。
酒も飲みたくないのですが無理なので仕方なく。
〇〇もゴニョゴニョですが無理なので仕方なく。
これがあと2ヶ月は続くのです。
これまで幾度となく災害とか事故とか事件とか、
惨事を目の当たりにして自身の在り方を見直してきた。
その度に複雑に絡んでいると思っている様々なことを
大きく2つに分けて考えてみる。
大切なこと と どうでもいい こと。
深く深く追求したいとすら思っていた絵を描くことの
意味すらも簡素になっていく。
純粋に と言ってもいいのかもしれない。
命がある ことは大切なことの大前提として、
もう一つ、それは想像力。
決まった答えを導くのに長けている事はとても有益で
世の中に必要な能力である事は明らかではあるけれど、
答えのないものに対してどう振る舞うかと言う姿勢も
また人が生きていくために必要な力だろうと思う。
慮る(おもんばかる)give careful consideration
と言う言葉がこの場合最も的確だと思うのだけれど
どーでもいいこと の多くにこの想像力が足りていない
と感じる。
目の前の世界の光と影を描いた絵に
生きる力と想像力があればそれが全てだ。
絵を描く時に必要なもの支持体(紙とかキャンバスとか)
筆とか絵具とか、そしてその絵具を溶くパレット。
油絵を描いていた浪人生の頃はこのパレットを自作する
のが何となく習わしだった。
シナベニヤの板にリンシードオイルを幾層にも塗り、
そこで絵具を溶き磨いてはまた絵具を溶く。
繰り返しているうちに艶々ピカピカのパレットが育つ
という訳です。
大学院を出て数年後からオリジナルの表現を求めた結果
油絵具を使わなくなり代わってアクリル絵具を使っている。
これはパリのゴミ捨て場で拾った木の板をアクリル絵具の
パレットにしたもの。
白はだいぶ盛り上がってる。
10号以下の小さな絵を描く際には随分使ったなぁ。
裏返したところ。
ビミョーに反っていたのでシャンパンのコルクを切って
脚に、バーでもらった紙のコースターとか飲んでいた
安ワインのラベルとかが貼り付けてある。
そんな感じで拾った厚紙もパレットとして使い、
パリでの制作の終わりと共に白で塗りつぶしてその上に
飲んでいたワインやウィスキーのラベルを貼り付けて
メモリアルボードにしたもの。
額縁をつけて今は絵の道具を入れる物入れとして現役中。
置いてあるのは絵具の溶き皿として使っている紅茶の缶とか
ビスケットの缶の蓋。
そんなこんなを経て数年のうちに国外で制作する機会も増え
どこでも手に入り軽くて可変自在、変な愛着が沸かないもの
として活躍しているのが段ボール板。
送られてきた画材とか家電とかビールとかウィスキーとか・・・
タダだし軽いし変わりは山ほどあるし両面使ったりして
その後娘の工作の材料にしたりと何かと便利&無駄がない。
と言う特にこれといったオチもないお話でした。