郡山うすい百貨店大絵画展での個展を終えて
また新しい絵の制作に取り組んでいる。
世界的な災害が及ぼす影と睨み合いを続けながら
それでも毎日絵と向き合うことには変わりはない。
9年前の震災の時にはギャラリーやそこで場所を空けてくれた
アーティスト、生徒達や賛同者の力を借りてスケッチの展示販売をし、
売り上げを生まれ故郷へ寄付するアクションを起こしたけれど
今回は何ができるだろうかと考えている。
先ずは家族、友人共々健康でいることが最優先される。
その上で改めて感じていることは、
おれの描く絵に込められた思いはこういう状況の時に
こそ人の心に届いて欲しいと思っている。
細々とではあるけれど、出来ることを探しながら
今日も変わらず絵を描いている。
うすい百貨店での個展は予定通り開催されております。
http://www.usui-dept.co.jp/event/50391/
今のところ週末の作家来場も予定通り行われる
はずですが、ギャラリートークについては中止が
決定されました。
コロナウィルス感染拡大防止策の一環でそごう大宮店での
個展の期間中も土日の営業が停止となり、
予定されていた初日の作家来場も中止となりました。
楽しみにして下さった方々には大変申し訳ありません。
皆様ご自身とご家族、近しい人達共々健康にご留意されます様に。
この状況でも私の絵を扱って下さるスタッフの皆様
本当に有難うございます。
人から言われることをとても真剣に捉えて真に受け
その都度その影響を受けながら微細な舵切りをしながら今まで生きてきた。
貫く主体性なんぞどこにもないって位
変わり身を繰り返してきた様に思うこともあるが、描いている絵はそうでも無さそうだ。
時々「好きなことを仕事に出来るなんて幸せですね」的な事を言われるが、
あぁそうですね。と思う。
「表現の自由」についてとか
「社会と芸術との関係」とか
定義とか意味とかとかとかとかとかとか、
真剣に考えなきゃと思って考えるけれど右往左往して
振り出しに戻る。
誰かのために描いたりはしないが
結果誰かのために描いている。
そんなんじゃダメなんだろうとは思うけど
おれは絵を描くから
あとは誰かやって。
今年で22回を数えることとなった『雪梁舎 フィレンツェ賞展』
新潟にあるこの美術館でおれが賞を貰ったのは第4回、2002年のことだ。
受賞当時から週に2日クラスを持っているアトリエに置いてあるのが
目にとまり、当時の記憶が一気にフラッシュバックした。
元々今のフィレンツェとの関係ができたのはこの雪梁舎美術館の
おかげであるけれど、最初の1ヶ月の滞在から1年の留学、
その後スケッチツアーや展示会、旅行などの際にとてもお世話になった
方を見送ったばかりだったから。
想いは言葉では上手く言い表せないが、
感謝は直接伝えてきたし、
時々思い出しては笑ったり悲しんだり怒られたりしようと思う。