来月開催されるされる台北のアートフェアに向けて
制作していた大作2点と小品2点を送りだした。
過去5年参加し続けているアートフェアだけれど、
毎年出品する絵の 感じ は変えている。
受け入れられる時もあれば、何らかの理由で必要とされないこともある。
ギャラリストは現場にいて生の声を直接聞いたことを
伝えてくれるけれども、
だからといってそこに100%沿うような事はない。
そうは言ってもお互い生活をかけた勝負をしているので
全く耳を傾けないって訳でもないけれど。
4~5点を出品する内の数点はこんな感じ、
縦163cmある木のシルエットには小さな鳥を隠し描いてある。
可愛いから じゃない。
目立たない様にしたのは、野生の世界で目立つって事は
即、死を意味するって事を忍ばせたかったから。
反面、夜でも昼でも自分の都合で生活する時間帯を変えるのは
人だけだって事を描いたのが、「 SHADOWS OF THE NIGHT」
夜の街の絵だ。
これまで、色々なタイプの絵を描いて来た。
今のスタイルになったのは2003年くらいだったか、それから13年程の間に
描いた絵は650枚以上になると思うけれど、当然初期の頃とは随分と雰囲気も変わってきた。
それが成長だ。
昔の絵が好きだという人もいる。
今の絵が好きだって人もいる。
ただ、今もずっと前も、
描いていればいろんな事を言われる。
感じ方は人それぞれだ。解らないと言われたり、ボヤッとしてると言われたり、
寂しすぎる とか 明るすぎる とか、虫は嫌い だとか ヤモリは気持ち悪い だとか。
今回も、 地味すぎる だって。
明るくハッピーに見える絵は沢山描いたよ。
それに飽きちゃっただけだ。
田中顕次郎 作品展 様候-ようそろ-
を観た。http://www.galleryk.info/exhibition/2016/20160915.html
彼との出会いはもう17年か18年も前になる。
同じ職場、絵画教室で受験生を教えたり一般クラスを教えたり。
年もほぼ同い年。
大学時代も同じキャンパスに彼は日本画科、おれは油画科でいた
はずなのだが、殆ど会った記憶がない。
ここで彼との細かい話しは割愛するけれど、
モノ創りとしての彼を知った上で個人的な期待度は満点で
観に行った展示は、ナカナカ良かった。
ナカナカってどのくらいかっていうと、
1点購入するくらい。
田中顕次郎は前の記事の塩田千春と比較すると
世間の評価、知名度としては天と地、雲泥の差(スマン!)
ではあるけれど、
個人的には同レヴェルのアイデンティティ、知識、テクニックを持った
アーティストの一人だと思っている。
モノ創りとして、絵描きとして、なにが大事か。
出会った頃はそんなことをネタに激論を交わし、
割と温和な彼が眉間にしわを寄せ、舌打ちしながら
お前が言うなら一理あるか・・・
というくらい意見をぶつけ合ったのはいい想い出だけれども、
実は今でも 絵を教わるなら 彼に付きたい
と思っている。
彼との話しは語ればキリがないけれど、
良いもの手に入れた。
塩田千春 鍵のかかった部屋
を観た。
2001年の横浜トリエンナーレで、
吊るされた
泥にまみれた巨大なドレスがシャワーで洗い流されてゆく
という作品を観たのが彼女の作品との最初の出会いだった。
プロフィールを見ればほぼ同い年。
ベルリンに住んで20年とのこと、
初めて作品と出会った当時、おれは絵画教室と居酒屋の調理場で
料理を作るアルバイトをしながらなんとか絵を描き続けていた。
いまだ叶えられない、美術館での大きな企画に出品し、
昨年にはヴェネツィア・ビエンナーレでの展示も行ったその活躍ぶり
はいささか眩しく、そしてその作品のクオリティ、スケール、コンセプト
などは素晴らしく、対抗心よりは尊敬の念すら持つアーティストとして
今も気持ちのどこかに引っかかる人であった。
展示内容はこの場では割愛するけれど、
とにかく自分でも珍しいな、と思うくらいの期待度で拝観した結果、
素晴らしかった。
ひと部屋に制作されたインスタレーションを堪能した後、
仕立てのいいカタログを購入し、彼女のギャラリートークを聴き、
更にはおれ的にはありえないというほどの珍しさでサイン会に
先頭で並び(結果としてそうなっただけだが)
持参したシルバーのペンを差し出しカタログの真っ赤な見開きに
サインをしてもらったのだった。
カタログに寄せられたご自身のお話から、
アーティストであるがゆえの苦悩や壁を感じはしたものの、
それはおれの信じる本物のアーティスト然としたもので、
そこすらも勝手に激しく共感したのだった。
今後、アーティストと一ファンとして以外、なんの接点もないかもしれないけれど、
多くの人が共感、感化されるように、心のどこかにいつもある
そんなアーティストになる様な気がする。
いいもの観た。
数日前、 狂気の沙汰 としか言いようのない夢をみた。
間違いなくいま、現実に一番起こって欲しくない事の一つで
あろう内容で思い出すだけで錯乱しそうになるような。
絵を描いている時には、特に大きな絵であればあるほど、
頭の中には無数の事柄が駆け巡り、
それは例えばその絵に込めたテーマの延長であったりする
のだけれど、無意識に壮大な世界観の中へ引き込まれていく。
その世界がどんどん突き進むと、それはもう普通ではとても
考えられない所まで行き着き、自分の内に芽生える狂気、
芽生えるというか狂気は常に内包されていて、日常のなかで
幾つもの事柄によってブレーキがかけられているんだけれども、
簡単に言えば 死と隣り合わせの狂気 を持ちながら描いている。
普段顔を合わせる人たちは例え身内であっても
少しづつ違ったルールのもとに日々を過ごしていて、
今日会った金融機関の人も買い物をした店の人も、近所で工事をしている人も友人も。
ほんの小さな町の各家の中ででもそうした小さなルールがあって、
それが外へ出て、多くの人達とのすり合わせがあって、会社レベルであったり
自治体レベルであったり、しまいにはそれが世界を作っている。
要するに、世界には到底思い至らない事や理由のもとに生きている人たちがいて、
もしかしたら、いや間違いなく我々もその内の一人で、通じるのは言葉ではなく
感覚だったり損得だったりするわけで、
それでも、小さな小さな秩序だったりカオスだったりが混在して一つの
形になってしまっている、というのが世界なわけで
従ってこれはそういう絵なんだ。
仕上がるまで、しばらく狂気とは隣り合わせ。