10月にパリで開催された ART ELYSEES2015では、
現場では売れなかったと思っていたら、
実は1点、個展のDMにした絵が売れていたみたいで、
その絵はその場で梱包して持って帰られたそうで、嬉しいニュースだった。
先月は台北でアートフェアに出品し、大作数点が売約となり、
これも良かったな、と思える結果だった。
今年の展示は21日まで銀座の日動画廊でミニヨン展、
その後博多で珍しくデッサンと水彩画を出品、
今月23日に岡山のホテル催事での個展でおしまい。
もう作品は仕上げて送ってあるので、来年に向けての準備を
始めている。
制作スペースを掃除、レイアウトを変更し、
来年描く予定の木枠、キャンバス、絵の具その他材料を
まとめて画材屋さんに発注したら、請求額にびっくり!
画材屋さんもびっくり(笑)
届いた荷物の整理も大変。
暮れはキャンバスの組立、下地の準備などで大工仕事に
追われる予定です。
評判がいいとか悪いとか、売れるとか売れないとか、
目先の反応に多少惑わされたりしなくもないのだけれど、
本来、何のために絵描きを目指したのか を軸にして
来年も制作をしようと構えを正しているこの頃です。
10月にParisで開催されART ELYSEES2015。
アートフェアのカタログとはいえ、アンディ・ウォーホル
と同じ本におれの絵が載る日がくるとは・・・!
猫も興味深々、てか踏んでるぞオイ!
アートエリーゼでは沢山の人が観てくれて、その場で売れはしなかったが
現地スタッフや友人の話ではとても良い評判だったらしく、
しかしなんせ無名なモンで、「新人の割に価格が高い」とか言われ、
日本を中心にTaipeiやSingapore 、Parisでも活動していますよ!
というアピールをして貰ったりして。
その甲斐あってか、先日Parisの画廊に大きな絵を見に再度来てくれた
方があったそうだけど、検討するといって帰った数日後にテロ。
更にCOP21で画廊界隈は交通規制でがっちりガードされる有様で、
もう少し様子を見ましょうということに。
外国で起きた政治的な会議や事件が自分の仕事の先に影響を及ぼすとは・・・。
世界に出たいと思っているならそれなりの自覚を持たないといけないのね。
先ずはベースから、ということで
明日4日から銀座日動画廊でミニヨン展が始まります。
小品ばかり400点程も並ぶ中に数点混じっています。
−そのさきにあるもの− F10 2015
今から遡ること1ヶ月、生まれたての子猫2匹を保護した。
本当は3匹いたんだけど、動物の本能に基づく掟なのか、
その掟に人間が踏み込んだせいなのか、1匹は幼くして
生き残ることが出来なかった。
そんなことがあって、瀕死の子猫を家で世話することになり、
あのままだったら数日保たなかったであろうことなど嘘の様に
日々すくすくと成長する姿を見守っている。
更に遡ること5ヶ月、新しい命が宿っていることが判明し、
来年春先に親になります。(実質もうなっていますが)
これまで見守ってくれたり、お世話になった方々へのご報告として
この場で書くことにし、無事に生まれた時にそのことだけを
また書こうと思います。
そして、遠く離れた場所やごく身近な所で様々なことが起こり、
それは例えば 自分が生まれた国に安心して住むことも出来ず、
何事もない日常を求め命がけでたどり着いた場所で、自国民の
一部の主張の為にその凶行の犠牲になってしまう理不尽であったり、
顔見知り範囲での、何を大切にしているか について相容れない
感情が大きく膨らんだり。
個人の生き方、信じるものを突き通そうとすればそれなりに摩擦が
起き、時に互いを傷つけることは避けられないのだろう。とはいえ、
最低限守らなければならない尊厳があることは過去から学ばないと。
人が生きて来た 歴史の意味 がなくなってしまうのではないのか。
その 意味 を絵の中に含めたいと願っているので、
これらのことはとても大きな衝撃となって心の深い部分を揺さぶり、
ここ数日の間、心がザワザワしている。
自分を無力だと思うことは簡単だがそれは逃げに等しい。
命を懸けて出来ること おれにとっては絵を描くこと にどう向かうか。
日常の全てを含めて、改めて構えを正す時にあると感じている。
なんて考えながら歩いていたら、買ったばかりの筆を落としてなくす
っていうね。
「晒された場所」 watercolor on paper F4 2015
かつては観光客で賑わいをみせていた地も、
様々な理由が重なって、訪れる人が少しずつ減り、
しまいには住んでいた人たちも減り、寂れた空気を纏う。
だがそこには本来の姿があり、厳しさを含んだ平穏な光が
射しているものだ。
旅先で描いた水彩画。
晴天の空の下、穏やかな光の裏にみえる様々な思い。
好む好まざるにかかわらず、その厳しさこそが
真の姿であることを本能的に知っているか。
そんなことを切々と感じながら3時間程で描き上げた。
平和だとか優しさだとか、綺麗すぎる絵は、
もう描きたくはない。
おれの知っている真実を描くべきなのだ。
先週やっと一息ついたので、
蔡國強(ツァイ・グオチャン)展を観に行ってきた。
横浜美術館で開催されていて、ずっと観に行きたかったんだ。
世界的に有名で、日本にもゆかりがあるアーティストなので
細かい話は割愛しますが、
スケールの大きな活動とその内容は素晴らしいものだった。
考えている内容がとても共感できるものであるだけに、
世界規模での活動と規模、その評価には憧れる。
そして、これまで公私ともに言っていることだけれど、
おれの敬愛する画家、アンドリュー・ワイエスの絵に出会ったのは
高校生の頃。
栃木の田舎の普通の高校のたしか美術室の前に貼ってあったポスター
が衝撃の始めだったような気がする。
そんなことをやっても意味はないことはわかっている。
我が道を貫かなければ近づくことすらできないこともわかっている。
けれど、どうしても近くに寄った気になりたくて、
ワイエスの画集から抜粋した絵を、
ハガキくらいの紙に透明水彩で描いてみた。
結果、テクニックよりも、生き方の深さが出るのが 本物 なんだと
解っていることを確認しただけだった。
憧れは、憧れのまま大切に持っている方がいいんだな。
我が道を行かなきゃね!